「週刊テツタビ百科」第12号

小坂真智子

2009年06月28日 23:07

スナフキン藤田です。
いつも「すまいるトレイン777」をご愛聴下さってありがとうございます。
まっちーにEF63のNゲージを載せてもらいました。
さて、昨日お届けした「週刊テツタビ百科」第12号の再放送です。

第12号 (2009.06.27 ON AIR)
「碓氷峠物語」~PART2~

●横軽協調運転
 ①「峠のシェルパ」EF63形は2両で1両として扱われ、上下線問わず
   必ず上野方面に連結されます。2位(最後尾或いは最前部から2両目の
   関車)には、電車や客車・貨車両方に対応出来る双頭連結器や協調
   転用のジャンパ栓などを備えていました。1位には運転士が乗り込み、
   軽井沢行きでは後ろ向きで運転していたんです。
 ②電車の場合碓氷峠を登る時は、電車の運転士は信号表示などをEF63の
   運転士に伝え、運転制御はEF63の運転士にすべて任せていました
   (車の速度コントロールもすべて機関車側で行う)。反対に碓氷峠を降りる
   場合は、運転に関する一切をEF63の運転士が行っていました。

~レンガ造りの丸山変電所跡を進む、あさま+EF63~

 ③EF63型機関車と協調運転する電車や車両は、EF63から出す信号
   (電源)によって各車両の協調リレーに電源が入り、先頭(最後尾)の
  運転台側で「横軽スイッチ」を入れると信号が再び各車両のリレーを伝わり
  EF63へ戻り、初めて協調運転が可能になるという仕組み。(編成中に
  1両でも非協調車や不具合車があると信号がEF63まで戻らず、協調運転が
  不可能となって運転打ち切り)万一電車側で操作を行った時は、協調用の
  非常ブレーキが作動します。
  ちなみに軽井沢と横川では約8度の温度差と気圧の差があるため、麓側で
  しっかり締めたジャンパ栓が山側では隙間が出来てしまい、水が侵入して
  トラブルを起こすことも多かったそうです。

●EF63の特別な装備
 ①発電ブレーキ
   下りではモーターでの駆動を停止し、車輪の回転を逆にモーターに伝達する
   ことで、モーターを発電機として作動させます。その発生電力を抵抗器に
   通電して熱消費させ、モーターに回転抵抗を生じさせて制動力を得ます。
 ②電磁吸着ブレーキ
   強力な電磁石をレールに密着させ勾配上での停車を確実に行います(自動車の
   サイドブレーキと同じ)。
   *他に3種類のブレーキを装備、停電対応に大型蓄電器を搭載しています。
 ③過速度検知装置
  下りでの速度を的確に測定し、速度を超過すると警報を発したり、非常ブレーキを
  作動する装置。1975年回送の機関車2両+EF632両で走行中に暴走。
  120km/h超のスピードで坂を下り脱線転覆。この時、検知装置は装備されて
  いませんでした。(碓氷峠では48km/hを超えると、あらゆるブレーキ装置を
  働かせても、ブレーキの力と加速力が均衡してしまい、スピードアップが抑えられる
  だけで止まらなくなってしまうそうです)
 ④車体の重量配分
  重量は機関車では最大の108t。先頭部の軸重を38t、中間36t、後方34tという
  アンバランスにして、勾配上での軸重移動対策を施しました。
 ⑤双頭連結器
  連結器が2種類装備され、90度向きを変えることで電車・客車との連結が可能。


~各列車との協調運転を可能にしたジャンパ栓と双頭連結器~

●協調運転対応車両
 ・電車(169系・489系・189系→末尾番号が必ず9)や客車では、標高の高い
  側の連結器が浮き上がって脱線しないように、すべて台車の空気を抜いて
  運転されたため、通常よりも強固な台車が装備されました。
 ・横軽対策車は、形式番号の前に直径1cmの「●」が付けられました。

●峠区間の廃止
 ①長野新幹線の開通により、1997年9月30日を以って廃止。104年の歴史に
  幕を下ろしました。峠区間はバスに転換され、EF63は保存の数両を残し全車廃車に。
 ②レンガ造りの橋は後に耐震補強が施され、その技術力の高さから「碓氷第3橋梁」を
  始めとする一連の橋やトンネルは、1993年に国の重要文化財に指定されました。

●碓氷峠鉄道文化むら
 ①1999年4月1日、横川駅構内に体験型鉄道テーマパークとして誕生。
  これまで碓氷峠で活躍した車両をはじめ、国鉄時代の貴重な車両を
  30両ほど展示しています。
  公式ホームページのアドレス
  http://www.usuitouge.com/bunkamura/



2週に渡って碓氷峠の思い出を振り返ってみました。当時の写真や記事を眺めていると、
EF63のモーターと抵抗器の轟音が今でも甦ってきます。この峠に再び列車を走らせようと
する動きもありますが、思い出は思い出としてしっかりと心の中に残しておきたいものです。




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