「週刊テツタビ百科」第11号

2009年06月21日

スナフキン藤田です。
いつも「すまいるトレイン777」をご愛聴下さってありがとうございます。
さて、昨日お届けした「週刊テツタビ百科」第11号の再放送です。

第11号 (2009.06.20 ON AIR)
日本の鉄道史上最大の難所であり、鉄道ファンならずとも思い出深い場所であった
信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠。峠克服のために最高の鉄道技術の粋を集約し、
多くの鉄道マンの尽力によって都心と北陸を結ぶ大動脈は開通しました。
しかしながら華やかな表舞台とは裏腹に、工事や列車事故等で多くの尊い犠牲が
払われたことも忘れてはなりません。今回リスナーさんからの質問や思い出話が
多数寄せられましたので、碓氷峠物語と題して2週に渡って特集したいと思います。

~PART1~
●アプト式鉄道の開通
 ・山の険しさと最大66.7‰という急勾配のため、「ループ線」「スイッチバック」が使えず、
  当時ヨーロッパの登山鉄道に用いられていたアプト式ラックレールを採用。線路側の
  ラック部と車両側のピニオンが深く噛み合い、駆動力の円滑化や安全性の向上が
  図られました。
 ・1891(明治24)年起工。延長11.2kmの間に18の橋と26のトンネルが建設されて、
  1893年に中山道線として単線開通。この工事で500名以上の命が犠牲となりました。
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アプト式ラックレールの模型(Wikipediaより引用)

●蒸気から電化へ
 ・ピニオンギヤが装備された専用の3900型蒸気機関車が配置され、下り線では最後尾に
  上り線では最前部に機関車を連結した形で運転を開始。しかし、トンネルが多いことで
  煤煙による乗務員の窒息事故が絶えず、加えて輸送能力の限界も低い状況でした。
 ・1912(大正元)年日本で最初の幹線電化が行われましたが、トンネルが低いために
  架線が張れず、第三軌条からの集電となりました。機関車は同じくアプト式専用の
  ED40型が投入され、所要時間は80分から40分に半減。1934(昭和9)年には後継機
  となるED42型が配備されました。
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碓氷峠を下るED42電気機関車(Railguy 1977.7月号より引用)

●アプト式から粘着運転へ
 ・大戦後の高度成長により、効率の悪いアプト式に替り車輪での粘着運転方式が
  採用されました。66.7‰の勾配はそのままに、1963(昭和38)年に旧線の北側を
  並行する形で新線が開通。さらに1966年には、旧線の一部を改修する形でもう1線が
  開通して複線となりました。
 ・従来型の機関車や車両ではこの勾配に対応出来ないため、EF63直流電気機関車を
  投入して登坂力と制動力を補い、且つ電車との「協調運転」を確立したことにより
  所要時間が40分から下りは17分、上りは24分に短縮されました。
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横川駅で佇むEF6311+12号機

今回の放送はいかがだったでしょうか? 多くの情報をお伝えしようと、少し端折り
過ぎました(笑)。
さて、次回は「横軽協調運転」の仕組みと、EF63の装備についてお届けする予定です。




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Posted by 小坂真智子 at 23:06│Comments(0)週刊テツタビ百科
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